「DreamWalk - 熱海」という土地性も「Night Flow -
夜のきらめき」という刹那性も、これまでずっと自分たちが作ってきたものは
これまでは自分たちの感動するものを切り取ってきたからか、出来上がった音源を聞き直すのは何の抵抗もなかったのですが、
今回は出来上がってからというもの一曲一曲が靄がかって聞こえるというか、自分たち自身がどう聞いたら良いかを見失いがちです。
きっと鏡で自分の顔を見てもフラットには見れないようなもので、そういう意味では意図をしっかり達成したのでしょうか。
とにかく、いったい自分たちは鏡で何を見ていたんだろうか、そして「シーヴォイス=海の声」とはなんだろう。
モヤモヤしている自分たちのためにも、身近な人の意見を聞きつつ、改めて振り返ってみたい。そういう気持ちでこの特設ページを作りました。
とはいえそんな重いものではありません。音楽を聴いた後で、あるいは聴きながら、
酒の肴のようなものとして読んでいただければと思います。
人の内面を何になぞらえるか考えた時にキーワードとして「声」、「水」、「海」が浮かびました。水のように言葉を溶かし、状態が変化する心の声を聞くことで、
14曲にはそれぞれ明確なタイムラインがあるわけではありませんが、自分の内側に飛び込み、心の海を泳ぎ、最後に外界に飛び出すという音楽的遠泳をイメージしています。
Dehors (Intro)
アルバムのイントロダクション。Dehorsはフランス語で外側という意味です。
これから潜ろうとする心の海の区分は 陸/海 よりも外/内
のイメージが近かったため、
導入部には外側の意味を持った曲を置いてみました。
Listen
曖昧さや、うわ言をつなぎ合わせることで聞こえてくる自分の声。
猪爪さんの透き通った歌声と、
チャカポコ鳴っているリズム隊の絡みがお気に入りです。
Locator
旅に出るにはまず目的地が必要です。ここからどこへ向かい、何を探すのか――
友人でもあるボーカルのSagesaka Tomoyukiはisagen名義で
今年5月にアルバム『sh』をリリース。
ベースミュージックの土台に宅録の空気感を融合させ、
アコースティックとエレクトロニックが絡み合う音源はとても素晴らしいです。
遠くまで
退屈を通してでしか到達できない、遠く穏やかな場所。
そんなイメージを音楽の上に立ち上げてみると、海に浮かぶ蜃気楼のような音像に。
unmoさんの歌声を加工した音色でコードを組んでいます。
Aqua Glass
ガラスが見せる水のような透明感から着想を得て作曲しました。
光を屈折させる物に何か共通点を持たせたかったので、
水の中まで届く陽光を描いた『Sun Point』でも同じ音型を登場させました。
Panorama
しなやかな青い初期衝動。
大人らしさと若々しさの両面を持つ弓木さんの声は、
いつまでもはじめを思い出すための歌にぴったりでした。
全編鳴っているガットギターはRoland SK-88Pro。
バンドをやめた西山が初めて買った機材です。
潜水
疲れた時は水に潜って、時がくるまでじっと一人で過ごすのも良いものです。
川辺さんの声の持つ哀しさが水に溶け出すように音楽に広がっています。
アウトロの展開は次曲とセット。
深みに沈んでまた浮かぶ。
Sun Point
前曲の位置を引き継ぎつつ、こちらでは水の底まで届く
陽の光がテーマになっています。
目を閉じた状態で光を感じるとき、
瞳の裏がハレーションを起こしたかのように白む。
その瞬間の、ごく微かに見えるサイケデリアを
曲の中に持ち込めたらと。
Voice
流されないための錨。Tokiyoさんのボーカルのパワーには圧倒されました。
何か迷った時もこの曲を聞けば大丈夫な気がします。
ものすごくたくさんノイズを入れた記憶があります。
大きな音量と小さな音量、それぞれで印象が変わる曲かもしれません。
ぬけて
水面へ上昇しようとする浮力をイメージしましたが、沈んでいくようにも聞こえます。
フルートの音色はE-mu Proteus / 1。
Proteusシリーズは今回のアルバムで大活躍してくれました。
透明な青
いわゆる「大人」になると、無垢な美しさが見えにくくなる気がします。
純粋に空と海に感動する、小さな子どもの目と耳を思い出して。
自分探しの遠泳はこの曲で終わっても良いのですが、
独り言で終わらないために外海との接続を求めて後ろ3曲を作りました。
Affirmation
Affirmationは肯定という意味です。
遠泳の中で見つけた、自分自身を肯定する部分を作ってみました。
前半を振り返るポイントにもしたいと思い、
『Locator』『遠くまで』の素材を散りばめています。
Around the core
内側の海が、自分以外の人間で形成されてることに今更気づく、
といった場面でしょうか。
心の外に何があるのかは分かりませんが、
とにかく外界を目指し、
突き進むような曲にしたいと思いました。
海鳴り
インナートリップを抜けた先の海へ。
波の轟く音をイメージしたフレーズに、ブレイクビーツを重ねてみました。
ブレイクビーツに内省的な情感を煽られるのは自分だけでしょうか。
轟音に埋もれてしまいそうな心の声も、遠泳を終えた今ならハッキリと聞こえる、
といった終わり方を迎えられたらと思いました。
パソコン音楽クラブに縁のあるゲストの皆さんより。
『See-Voice』
- 心を映す透明なサウンド
僕が"See-Voice"を聴いた最初の感想は「圧倒された」というものでした。2人の才能は十分知っているつもりだったけど、全曲聴き終わった後、「ああこんなに凄いのか」と畏怖を覚えるほどでした。
メンバーの柴田くんが東京に越してきたことにより、距離が近まり、たまに会ったり、電話をするようになっていました。彼とコロナ禍の悩みを相談しあったり、めちゃくちゃな馬鹿話をする事は僕にとって救いになっていました。なので、彼らがどういう気持ちでいるのか、次のアルバムはどういう方向性になるのかはなんとなく予想をしていました。
しかし、実際にアルバムを聴いてみると、その純度とボリュームが自分の予想を遥かに上回るものでした。
以前パソコン音楽クラブのコメントを書かせてもらった時にチープな機材を使い込む事によって、オリジナリティを獲得する様を「錬金術」と表現をさせてもらったのですが、その純度はさらに高まっていて、もはや透明な結晶のような美しさを感じました。本当にこだわりを貫いた人たちだけがもらえるご褒美のようなサウンドだと思います。
その点で、2人の敬愛するレイ・ハラカミ氏の"red curb"を思い起こしました。
2020年にコロナ禍が無ければ、パソコン音楽クラブは大きなステージを経験し、いわゆる飛躍の年になっていたと思います。しかし、実際は多くのライブが無くなり、外からの刺激、インプットは著しく減ってしまいました。
「それでも音楽を作りたい」そう思った時にどうするのか?
ほとんどのミュージシャンがぶち当たった壁だと思います。
パソコン音楽クラブが出した答えは「今まで以上に自分たちの内側に潜り込んで、2人だけの化学反応でアルバムを完成させる」という事だったと思います。
これは想像を絶する作業です。
以前"寄生獣"を連載中の岩明均先生が「ひとり机に向かい作業している漫画家にとって、読者の方からの声援は暗闇に燈台というべきほどのもの」と書かれていました。
ミュージシャンにとっても、ライブでのリアクションや人とのコミュニケーションは"明かり"です。
その明かり無しで自分たちの内側に潜り込んでゆく作業はとんでもない気力と能力が必要だと思います。
パソコン音楽クラブの2人は本来ならアルバム2〜3枚に分散させるエネルギーを使って、このアルバムを完成させたのではと思いました。
だから、それを成し遂げてしまった2人に自分は「圧倒された」のだと思います。
そして、このアルバムには強い意志が込められていると感じました。
2人と話した時に、「今回は"特定の景色"が見えないアルバムかもしれない」と言っていました。
僕はその分、聴いた人それぞれの心を映す事が出来るアルバムだと思いました。
長すぎるコロナ禍ですっかり疲弊して、スランプになってしまった僕は、宮崎に行きました。
そこで海に行ったり、夜空を見たり、ドライブする事によって心が救われました。
人々が分断して、不安から強い言葉で傷付けあうようになってしまった世の中で、自然は否定も肯定もせずただ向かい合ってくれる。
それが何よりも心地よかったです。
"See-Voice"にはその時と同じ感触がありました。
これは世の中に対する2人のスタンスであり、願いだと感じました。
今、この音楽が必要な人はとても多いと思っています。
音のスピード、MIDIのスピード
レコーディングエンジニア。
『See-Voice』 では
数曲の Vocal Rec を担当
音の速さはおおむね秒速340メートル。その間に光が地球何周か分進むことを思うとかなりのんびりしているが、これを意識する場面は普段はあまり無いように思う。花火や雷など、音が遅いことに改めて気づかされる場面もあるが、それらも体感的に知ってしまうと自然現象として特に違和感を覚えることはなく受け入れることができている。
音楽においてはこれがもう少しシビアな問題になってくる。例えばクラシックのオーケストラでは舞台の端から端までの音の到達時間は0.05秒に及ぶ。演奏には0.02秒ほどの遅延でも困難をきたすとも言われており、舞台の上で演奏家たちは指揮者や他の演奏者の動きを頼りに演奏の同期性を担保している。また、楽器自体もその種類によって演奏者のアクションから実際の発音までの時間が異なっている。たとえばチューバなどの大きな金管楽器になると吹き込みから発音までかなりの時間がかかる。そのため演奏者は最適な演奏タイミングに合わせて「少し早く」演奏することが求められている。しかし観客側ではそのような問題を意識することなく音楽を楽しむことができているのだ。
電子楽器の世界では1983年にMIDIが導入され、一般的なシンセサイザーはコンピューターから制御ができるようになった。MIDIは音の情報が分解され、一つの音は約0.001秒で送り出される。これは単音では知覚できない速さであるが、コンピューターから同時に複数の音が混在する情報を送るような場合にはズレが露呈してしまう。また、シンセサイザー側も情報を受け取ってから発音の準備をするため、ここでまた遅延が生じる。遅延時間は機種によっても挙動が異なるため、たとえば同じ和音でも「ドミソ」と「ソミド」で鳴らしたときの印象が変わる場合もある。いわゆる「打ち込み」はそれらの癖を見極めながら情報を整理したり分散させたり、バランスをとりながらアンサンブルを成立させる、まさに指揮者としての力量も求められていた。
ポップミュージックではグルーヴが重視され、求められるタイミングもより精緻になってきている。しかし近年では電子音楽はほぼコンピューター内で完結可能になり、ソフトウェア音源も処理の高速化やタイミングの補正などによりMIDIの遅延を意識することなく正確に、イメージしたトラックメイキングが可能になってきた。その一方で、一時期は廃れていたかつてのハードウェアMIDI音源も徐々に見直されつつある。独特の音色や存在感といった部分にもつい心を奪われがちではあるが、従来は悪とされていた不測の遅延も、時間のゆらぎとして意識を向けてみるのも面白いかもしれない。
Googleマップでギリシャの教会を巡る
Googleマップをあてもなく見るのにハマっている。旅行も気軽に行けないし、現実逃避もかねて地図上のポイントをぼんやりと眺める。最近はお店の写真やレビューが数多く投稿されていてこれがまた面白い。レビューや写真を投稿するとGoogleから特典が貰えて、一般人がゲーム感覚で参加し層が厚くなっているようだ。世界中どんなのスポットにも投稿がある。
地図で周辺を眺めて近景を把握し、建物内部の写真を眺める。別に滅茶苦茶テンションが上がるわけじゃないのだけれど、次のお店、次のスポット、この道を進むと何があるだろう、もうちょっと北に行ってみようか、そうやって気がつくと無駄に時間が消費されている。
北関東のスナック巡り、ジャマイカのバー巡り、アフリカの寂れた漁村巡り、ゴビ砂漠にある中国とモンゴルの国境を辿り、イタリアの地方都市のレストランを探して料理の写真を見てはこれはおいしそうだと思ってみたり。例えばこんな感じで世界を巡る。
特にギリシャにある教会を見て回った事は印象に残っている。ギリシャは無数の島と半島から成り立っている。エーゲ海に浮かぶ島には数多くのギリシャ正教の教会が点在している。例えばサントリーニ島のイアの教会が有名だろうか、海が見える崖沿いにあり真っ白な外壁と青いドームが印象的で、観光パンフレット等にもよく使われている。
街外れの何もないような草原にも教会が佇んでいる。そんな小さな教会を巡る。外から見ると素朴な見た目で掘っ立て小屋のような建物、だが内部はギリシャ正教に特徴的なイコン(信仰の対象を描いた壁画)が散りばめられていて厳かで神聖な空間がつくられている。海と空と草原、そんな地平の中に突然と現れる小さな教会。自然の中で意識が唐突に芽生えるシェルターのような空間があり、その在りようがコントラスト鮮やかで惹かれた。
どんな気持ちで人々はここにいるのかを想像する。日常から遮断された教会という特別な空間に集い、祈りを通して遠くにいる存在を身近に想像して信じる。何かを信じることは誰かに強制されるものではなくて、空間や時間を通じた自己との向き合いの中で育まれる。その為には教会という特別な空間が、そして祈りという特別な時間が必要になる。
音楽も空間と時間を作ることができる。特別な空間、特別な時間。もしかしたら音楽は何かを信じることのきっかけとして作用するかもしれない。けれど、それはきっかけでしかないから失敗することもある。だけど、それはきっかけだからこそ意味があり、時に成功する。
うわごと
『See-Voice』のFull Track
Trailerを制作
今まではビルの谷間や夜の街、窓からの風景を見たりしてきた。そして今回は海を見ているのかと思いきやそうではない。
何か別のものを見ているような。それは頭の中で浮かんでは消え、また浮かんでは消え、ぐるぐると駆け巡っているものを。しかしそれはひどく不明瞭でぼやぼやしており、形がない。
それは目を閉じた時に見えるものや、寝てる時に見る夢、頭の中の声。
でもそれは突拍子もないものではなく、あくまでも日々の生活の積み重ねから派生したものから生まれてきている。
(以下の文章からは音声入力で思い付くまま綴ったものである。大変読みにくいが、今回のアルバムを表すにはこの様な方法が適切だと思った。)
何から何から書けばいいのか少し難しいあるアルバム。慧この文章はただいま音声入力で綴っておりへぇーえーこの家アルバムの気候寄稿行っております。パソコン音楽クラブを生では今まで主に風景描写を家風景実際の風景に自分たちの気持ちを投影している曲が多かったと思う。しかし今回のアルバムが嫌やアルバムアルバムは実際の海に自分たちの気持ちを投影しているわけでは無いように思えるへ。風景画描写のふりをしてものすごい中傷顔書抽象画を描いてるように見えた。アルバムのタイトルは「海の声」と「声を見る」を英語のダブルミーニングになっている。彼らは海を見ているようには見えなかった。実際の海ではなく、頭の中にある不明瞭でぼやぼやしたもの、浮かんでは消え、また浮かんでは消えていき、頭の中をぐるぐると駆けめぐっているものそれをアルバムと言うフォーマットに載せて海と言うモチーフを使い、落とし込もうとしているように感じた。
辺頭の中で浮かぶものや聞こえるものと言うのはあくまでも自分が今まで見たり聞いたりなどの家経験からしか浮かばない。だからいい映像には?派手な要素が少なくあくまでもhey 1乗日常生活から日常生活を中心とした素材が主になっている。
頭の中にある小さな変化もの、わざわざ人に話すまでもないもの、これらの話あいまいあいまいで何とも言えないものをパソコン音楽クラブは表現しており、一見、海と言う風景が出てくるので今までの作品の中で1番大きいように見えて、実は1番小さいアルバム。
バイストン・ウェルの物語を憶えている者は幸せである
『See-Voice』のジャケット制作を担当。
世間的にはおもしろ、色物、賑やかし枠とされている(?)自分にとって、継続的にデザインを担当するものはあまりないのだが、パソコン音楽クラブのジャケット制作に関しては今回で4回目(Remix集やリリパの特典等も含めるともう少しあるが)になる。『PARKCITY』『DREAM
WALK』『Night
Flow』は具体的なモチーフや情景があり、2人がその対象をどう捉え、どのように見ているのかを想像し、いかにその対象をある種「マジカル」なものにして定着させるかという作業だったわけだが、『See-Voice』に関しての話を聞く限り具体的なモチーフがない。感覚や事柄との距離、あるいは彼ら自身のこと(世界)なのかもしれないと感じたことを覚えている。
自分の作業の進め方は、レイアウトや色、トリミングや書体などのバリエーションをそれなりの量を出し、話し合いながら決めていくことが多く、誰が何を決めたのかという部分が曖昧になる。そのため、自分にとってデザイン作業はある段階までは「何回サイコロを振るか」というような感覚で、「作る/作った/決めた」という認識が希薄だ。これは単純に自分の頭の出来の問題で、何も思いつかないから手を動かし、その中から決めてもらうことしか選択肢が無いのである。手を動かしているとぼんやりと最終的な仕上がりが見えてきて、フォーカスが合ってきたと思いきや、「これは違うやつですね…」となることなど日常茶飯事だし、最後まで自分には何も見えてこないままぶん投げることもある(申し訳ありません)。締切で打ち切られた時点のものを「完成」と呼んでいるだけで、これが典型的なブルーカラー家系の血か、などと適当なことを思ったりもする。
納品直後は、本当にこれで良かったのかという不安もある、三ヶ月後くらいにはこうすればもっとよくなったのに…などという後悔の念も出てくる(この文章やジャケットに関してもそうだろう)。ただ、10年もだらだらとデザイン業を続けていると、頭からではなく、手を動かしてできたものも、意外と重要な意味や意義は後から付いてくるものなのかもしれないと思うようになった。時間が経って過去の自分がちゃんと他人になるまでは、日頃使っている物差しは機能しないようだ。(そもそも別に意味なんてなくても良いのだが、)今作も彼らにとってどのような意味の作品になるかは、もう少し後になってからのことなのだろう。距離が違えば意味も変わるのだ(時間も距離である)。その際に「この作品はこれで良かったのだ」とか、「このときはこんなことを考えていたのか」等を思い出すついでに、パッケージもまあまあよかったな、と彼らが思ってくれたら幸いである。
『海の上のピアニスト』という映画の中に海の声を聞いたという一人の男が出てきます。小さな村で悪運続きの一生を終えると考えていた男は、ある日初めて海を見て、そこで「人生は壮大だ」と言う「海の声」に衝撃を受け、人生をやり直す決意をしたと言います——
アルバムの制作中、柴田くんと後輩のseaketaと3人で千葉の御宿というところに行ったことがありました。「月の砂漠」と言われる砂浜からは一面に広がる美しい水平線が見え、何度見ても海は良いものだなと思ったのを覚えています。僕はその時(今もですが)いわゆるニートだったseaketaに「海の声はなんて言ってる?」と冗談半分で聞ききました。seaketaは「このままで良いよって言ってます」との返事。将来に悩めるはずの男の食い気味の即答に「海の声」も相手によって色々なことを言うもんだなと吹き出しました。(その後はみんなでLet
it beを歌いながら宿に向かいました…)
「海の声」というのはなんなんだろうと改めて考えてみると、それは声を聞く人自身の心の声なのでしょう。映画の男は人生の再起を求め、seaketaは現状維持を求めていた…笑?ではこのアルバムの「声」とは何か。
一定のやり方をずーっとやっていると、これで良いのかなと迷うタイミングがどこかで来るように思います。思い返すとアルバム制作前くらいから自分もそういう気持ちになることが増えていました。でも同時に、頭の中では今のやり方が好きだし、もっと色々とやれるんじゃないかなーとも思っていました。それでアルバムのデモを作りながら自然と、「自分たちのやり方をひたむきに突き詰めてみよう」と自分に言い聞かせるような音源が集まっていったのだと思います。鏡で自分の顔を見るように改めて好きなものを考えながら制作を進めて、そうして最終的に歌詞が出来上がる頃には、それは海の声をメタファーにしてすっかり今回のテーマは固まっていました。このアルバムが放つ声はまさに「自分たちのやり方をひたむきに」ということです。
なので正直なところ、『See-Voice』は6曲のインストと8曲の歌物、そして6人の声を借りて、自分たちのためだけに作った音楽です。そのため、一聴して「よくわからないな」と思う方も多いかもしれません。あるいは「重い」とか「地味」と思う人もいるかもしれません。気に入ってくださる方もいて欲しいと思います。いずれにせよ自分にとってはこれまでに作った作品の中で一番聞く人の反応が予想できないものになりました。もしかすると自分さえこの音楽との距離感をまだ掴めていません(もしよければまた感想をどこかにポストしてもらえれば興味深く読ませてもらいます…)。とはいえそれだけこの作品は後々振り返った時に、自分にとって意味のある音楽になったのだろうと思います。
色々書きましたが、とはいえ聴き方は聴き手の自由です。好きなように聞いて、好きなように感想を持ってもらえればと思います。そうしてこのアルバムからそれぞれに「海の声」が聞こえれば、それはとても素敵です(怖い話じゃないですよ)。
最後にseaketa本人の名誉のために、彼がすでに将来のための行動を起こしていることは補足しておきます。がんばれseaketa!
See-Voiceの制作中も、制作が終った今も、時間さえあれば漫画喫茶ばかり行ってました。家にいると無暗やたらと不安になるから、気を紛らわせるために意味なく満喫に駆け込んでみるのです。別に漫画が読みたいわけではないし、何なら読まないことも多々。これまでは音楽を作ったり、散歩をしたりして気を紛らわせていたけれど、なんとなくの暇つぶしでDAWを開くことが気分的に減ってしまったし、外を出歩くのはコロナのせいで億劫になったりして、なんだか全てにしっくりこなくなってしまった。そして、自分の気を紛らわせる手段が通用しなくなると、なんだか生きるのが下手になったような気持ちになりがち…。
生きるのが下手に感じてしまうと、不安が加速して、面白いくらいにあらゆる選択への迷いが生じました。言動や物の考え方、人生、美意識、飼うなら犬か猫、松屋かすき家か、など全てに。格段、音楽の迷いときたら凄いものです。パソコン音楽クラブでは古いハードウェアを音源として使用していて、それもかなりクラシックな使い方をしてるから、楽曲に独特のチープさが付き纏います。僕は(ここで言う)チープめな音楽と同じくらいサウンドデザインの新しい音楽や、ウェルメイドな音楽も好きだから、そういうものと比べるとパッと聞きチープで意味の伝わりずらい音楽をやっていることに、恥ずかしさを感じる日が時々あります。ただ悲しいことに、今の自分たちが一途に取り組める音楽は、そういうチープさの付き纏う何とも言えない音楽だったりもします。そう、、恥ずかしいとかそういう気持ちが、世のストリームと比べたときにどうなの?という迷いから生じていたのです。なんだかダサい中学生みたいな悩みですね。CDという商品を作ろうとしている立場なのはさて置き、元々は内々の遊びで始めたことにすら正直になれなくなってる自分が、なんだかちょっと情けなくなりました。ただ、迷ってるときにつく突貫の嘘は嫌な後味を残しがちだから避けたいところです。なんてウダウダ西山君と話していたら、彼も別の角度からあらゆる迷いが生じていたそうです。もうメンバー2人ともこうなっちゃったら自分に正直になってみるのもアリかも…。そんなモードに突入して、完成したのが今アルバムでした。
アルバムが出来た後、これまた満喫で『スキップとローファー』を読み返しました。演劇部の舞台を観た美津未ちゃんが「正直
内容は難しかったけど
驚くような発見や成果と言うのはひたむきさの延長線上にあるんだなと思いました」と言ってるシーンが妙に沁みました。このアルバムに驚きや発見があるかどうかは分からないけど、自分たちの中でひたむきさの延長線上の作品が出来た!という手ごたえはあったので、ちょっと救われた気持ちになったのでしょう。そうやってあらゆる物事を自分の領域に読み替えようとする身勝手さには自己嫌悪を覚えますが、思ってるより音楽のことが好きな裏返しなのかも、とも思いました。これはポジティブに捉えても大丈夫でしょうか。何かお勧めの漫画があれば教えてください。
『See-Voice』を作っていて
シンパシーを感じた作品たちです。
音楽を聴きながら、あるいは聴いた後に。
アクアスケープ 水の造形
1990年に発売された建築写真集。日本に建てられた水景施設の写真と、そのキャプションがひたすらに掲載されています。アルバムジャケットの水族館もこの写真集で思い出しました。30年も前に出版されたことに加えて、装丁からノスタルジックな雰囲気を期待して開くと、全く古さを感じさせないモダンな施設の写真がバンバン現れてびっくりします。
Bright Young Museum Workers
(陽気な若き博物館員たち)
ムーンライダーズの鈴木慶一氏が主宰されていた水族館レーベルのオムニバス第二弾。後のビッグネームが若手として大勢参加されています。若手のデモテープを集めるという性質もあり荒削りな初期衝動溢れる音源の数々。宅録的空気感に包まれた打ち込みドラムの無機質さ、癖のあるアレンジ、展開。未来を見つめ、自分の音楽は美しいと信じている。「水族館」レーベルというのは奇遇です。ちなみに同レーベルよりリリースされているmio fou「海の沈黙」はどういう楽曲を作るか考え始めた時に聞いてこれだ!と思った曲でした。でも出来上がったら全然違いますね。
横浜買い出し紀行
芦奈野ひとしによる漫画作品。物語全体に流れるゆったりとした穏やかな空気と、長い時間をかけて自分を探すストーリーにかなりの影響を受けました。
Def Tech - My Way
導入部のアカペラが始まって17秒あたりからの深いリバーブを聞いてください。この音を43分に引き伸ばしたのが『See-Voice』というアルバムだと言っても過言ではありません。
それからはスープのことばかり
考えて暮らした
吉田篤弘氏の小説。登場人物全員魅力的ですが、とりわけ主人公の姉が好きです。方向音痴の姉の言葉「迷子になったぶん、余計にいろんなものが見れたし」——強がりでなくそう思うにはまだ若すぎますね。
ゴンチチ - PHYSICS
ギターデュオ、ゴンチチによる1985年のアルバム。このアルバムでナイロンギターの音色に急に興味が出てきました。アレンジャーには松浦雅也氏や板倉文氏が参加。打ち込みによるゴツゴツとしたバックトラックも魅力的です。
風巻隼人 - 友情
「悩み事なんて吹き飛んでしまえ 救いの女神はいとしのロック&ロール!!」レコファン渋谷最終日、ジャケットに目を奪われて購入したのですが、ジャケット通り?いや、それを凌駕するかのような真正面ソングスの連続に食らいまくりました。この作品と出会ってなければ、今回のようなアルバムを作ろうとは思わなかったと思います。
アルバムに参加して下さった皆さん。
所縁のある方々からコメントをいただきました。
猪爪東風
シンセサイザーの音は「水の音」と「鉄の音」を作ることに向いている。とてもやわらかなものと、とてもかたいもの。
デジタルに表現するそれは、この時にその実際とはまた違った質感の新たなものに生まれ変わるように思う。ヒトの持てる感覚が整っているならば、既に知っている「本当」を想像することで楽しみを得られる。そんな音楽から、匂いまでも感じられるから今作は素晴らしい。全曲良いけど特に「透明な青」という曲が大好きです。
不器用なあなたのメロディ。それにタッチできるような、できないような気持ちでいます。
もう一度確かめたいと、何度も再生のボタンを押しています。
Tomoyuki Sagesaka
3曲目「Locator」にボーカル参加させていだきました。普段ビートメイカーとしての活動が主な中、こういった形で参与できたことがただひたすらに光栄です。揺蕩う波間に浮かびながら、ゆっくりと流れる景色をぼーっと眺めている時のような、そういったどこか見覚えのある優しく穏やかな肌触り。日々の喧騒や、慌ただしく過ぎていく時間のことを、このアルバムを聴いている時だけは思わず忘れてしまうかもしれません。そして、このアルバムは、長い時間をかけて不朽の名盤となっていく一枚であるのと同時に、彼らにとっての「願い」のような何かが詰まっているとも感じました。
遠く未来になってもずっとそこにあり続けてくれる、永く光り輝く傑作だと思います。間違いありません。
unmo
幼い頃、おばあちゃんの家の近くに二色浜という海水浴場があって毎年夏になると泳ぎに行っていたのですが、たくさんたくさん泳いで疲れたころに必ずポテトチップスが出てきて、ジリジリ暑い日差しと砂浜の独特な匂いと、ポテトチップスの食べ過ぎで胸焼けした気だるい体で、永遠にずっと夏休みで永遠にずっと泳いでいたいなあ、なんて考えていたことをこのアルバムを聴きながら思い出しました。ふだん曲を聴くと、聴いていた当時の季節や気持ちを思い出すことがありますが、このSee-Voiceの曲たちは不思議で、懐かしくて甘酸っぱい記憶や気持ちを思い出させてくれる素敵なアルバムです。前回に引き続き参加させていただきとても光栄です。
弓木英梨乃
かねてより、いちファンとしてパソコン音楽クラブさんの音楽を愛聴していましたので、お声がけいただいたときは驚きと喜びとで飛び上がりました!パソコン音楽クラブさんの音楽はいつも心地よくて、"音楽っていいなぁ”、"音楽って面白いなぁ” といつも純粋な気持ちで思わせてくれます。今回、この「See-Voice」というとても美しいアルバムの一部になれたことを本当にうれしく思っています。ありがとうございます。
川辺素
パソコン音楽クラブから歌に専念するボーカリストとしてアルバム参加を誘ってもらい、初めての事に緊張しつつとても嬉しかったです。いざ始まると最初から良かったデモの所から着実に曲が仕上がっていくところに、凄まじさを感じ興奮しました。録音、めっちゃ楽しい!という気持ちが自分の中で踊り出しました。参加させてもらったのは2曲でしたが、完成したアルバムのまとまりとして聴くと、テクスチャに力強い意図があったことに改めて気づきました。今回の自分みたいに全体像を知らないボーカリスト達が2人の用意した異空間で思い思いに歌っては帰っていくような画が浮かびました。奇妙で素敵なアルバム完成おめでとうございます!
Tokiyo Ooto
1曲目からツーンと突き抜ける爽快さがあって、音に耳を向けるほど身体が浮沈するような感覚が癖になるとっても気持ちよいアルバムで、いつも愛聴させて頂いております。
今回は素敵なゲストボーカルの方々の中に参加させてもらえて、恐縮アンド光栄です...!アルバムテーマが『水』ということで、わたしにもどこか水を連想させるものがあったのかなぁと考えてみたりしたんですが、そういえば最近市民プールに行ったりしていたのでそれがよかったのかもです。プールで泳いでいると、最初は呼吸の仕方がわからず苦しいのに少し慣れてくるとだんだん懐かしい気持ちになるんですよね。不思議です。
藤井隆
悲しいとか淋しいだとか、後ろ向きな気持ちはきっと同じようにあるはずだけど。パソコン音楽クラブのおふたりと49歳の私とではきっと違うとわかっていたけど。こんなに違うのか!みずみずしいのか!と心動かされました。気がつけば作業の手は止まり、ひたひたと近づいてくる[See-Voice]をじっと聴いていました。
佐藤望
ザラりとした感触と有機物のにおい、しかし、機械の山か。 古びた電子音と現在が溶け合うその瞬間、倒錯した過去への憧憬が溢れ出す。 電流で描いた海を走る。魚、いや、車か。加速する景色。焦燥感を楽しむ少年。 客観の夢から覚めると、喉が乾いて、手を伸ばした水は少し苦い、そんなアルバム。
佐藤純之介
小学校の後輩にして、大阪日本橋の中古楽器屋という僕と同じ聖地を持つパソコン音楽クラブ。「See-Voice」はまるでユーレイの様にたゆたうシンセサイザーと情景的な歌詞、声が現実とVR/AR空間の様にレイヤーしデコレーションする冒険島。らぶに溢れた彼らがいれば、シンセサイザーを使った音楽の未来は明るいです。今度、第3のメンバー(笑)としてお手伝いさせてください。
東郷清丸
ドライブしながらパソコン音楽クラブの音楽を聴いていると、うっかり壁をぬけ淡いグラデーションのポリゴン空間をいつまでも落下していった、あの日の漠然とした浮遊感を思い出します。様々な人が歌う声も、それぞれ別のシンセサイザーのように聴こえてきて不思議です。お二人が持つサウンドに対する偏愛のたまものなんだろうと思います。
Carpainter
「パソコン音楽クラブ」にしか作れない作品。
制御された音の端々に、あるはずのない命を感じる。
聴く人を突き放しては、包み込む。
どこまでも冷たく、どこまでも暖かい。
あらゆる相反する要素がギリギリの均衡で成り立った奇跡ともいえるアルバムでした。
改めてリリースおめでとうございます。
ゆいにしお
ジャケットを見て「もう好き」と言っていました。
そして聞いてみると、それはもう鮮やかな電子音の海が広がっておりました!晴れた3月くらいにのんびりした気分になれる曲や、水族館のミュージアムショップでぬいぐるみを買ったときの高揚感みたいな曲など…。(どれがどの曲かはご想像にお任せいたします)歌って素敵だな、音って素敵だな、そんな気持ちになるアルバムだと思いました。改めてリリースおめでとうございます!
ましのみ
大好きなパソコン音楽クラブ、大作リリースおめでとうございます…!
ぼーっと波の動きをみつめるように、日々に追われる時にこそ聴きたい黄昏の音楽。
私にとっては、余裕のない帰り道のお守りみたいな存在です。
憂鬱が青に溶けて元の色もわからなくなっていく没入感、たまんないんだよな〜